少し重い話をしよう。

 私は中高6年のうちに2人、近親を亡くした。叔母と祖母だ。叔母は私が小学生低学年の頃までだったが、私は二人ともと同じ家で暮らしていた。二人 は私の日常の一部だった。今日は私の叔母の話を聞いてほしい。

 叔母は頭の病気だった。脳溢血だったか、なんだったか、名前はよく覚 えていない。あまりに急で、早過ぎたのだ。叔母が倒れたのは亡くなる一週間前で、 私は部活を休んでお見舞いに通った。今日こそは、案外けろっとしているかもしれない。治っちゃった、なんてふざけて。そんな淡い希望を抱いて、慣れない電車の駅に向かった。

 叔母は昔、腎臓のガンで手術をしている。その時は、私がお見舞いに行った時には手術を終えてすっかり元気になっていて、病院食の里芋の煮っころ がしを私にくれた。透き通った綺麗な醤油色の煮汁に、控えめな大きさの里芋。 叔母は笑っていた。4年前も、私はその笑顔を期待していた。

 ここまで書いていて今更な気もするが、叔母という言葉はあまりに私と彼女の距離を遠ざける気がする。そして、いくらこれが全くの私的な記事ではな いとしても、胸が苦しい。なので、以下彼女のことは「みなちゃん」と呼ばせて頂きたい。

 みなちゃんは幼い私の憧れだった。私は今でもみなちゃんに憧れている のかもしれない。みなちゃんは、私にとってかっこいい大人の代表のような人物 だった。かっこいい服を着て、綺麗なお化粧をして、いつも素敵な香水をつけていた。

 みなちゃんは、月に一度は実家であるうちに泊まりにきた。私は毎回一緒に寝たいとごねた。土曜の夜、いつもより夜更かしをして一緒にスマステを見 るのが私たちのお決まりだった。仏間に布団を広げて、暗がりの中寝そべって見る深夜のテレビは非日常的で、ちょっと背伸びをしたつもりになった。

 中学二年生の時、みなちゃんの車に乗せてもらって、一緒に街に出かけた。お店の人に「親子ですか?」と聞かれた。みなちゃんは私の父の妹で、私は 父似だと言われる方だった。私とみなちゃんは顔立ちから髪質まで、よく似ていた。お母さんには申し訳ないけれど、みなちゃんと親子に間違われたことが嬉しかった。

 「紘香はどんな人になるんだろうね」と、言われた。私も、大人になった自分をみなちゃんに見せるのが楽しみだった。私が大人になった時、みなちゃ んもそこにいる。大人になった自分が、恋をして、仕事をして、結婚をして。悩んだ時、愚痴を言いたい時、嬉しいことがあった時、いつもみなちゃんが隣で話を聞いてくれ る。それが当たり前だと思っていた。

 みなちゃんが倒れたのは、その会話の二、三週間後だった。

 

 慌ただしく通夜と葬式が過ぎた。お焼香をあげにきてくださった、会社 の人、家族ぐるみの友達、親族。全員に数え切れないほど頭を下げた。初めて、 父の涙を見た。葬式まんじゅうは嫌味なほどに美味しかった。

 葬式の時に親族から聞いた話だが、みなちゃんは私を娘のように可愛がっていたらしい。自分が子供に恵まれなかったから。私は、私たちの間に「姪と 叔母」という新しい関係を感じていたから、みなちゃんが私を娘のように思っていた、というのは少し意外だったし、違和感を感じた。それに、可愛がられているにしては、みなちゃんは私にわりと辛辣なことも言った。親子にしてはぶっちゃけ過ぎていて、友 達のように近くて、ちょっとだけ遠かった。そんな、私たちだけの特別な関係が私は大好きだった。

 葬式で御経を読んでいただいたお坊さんが、こんな話をしていた。亡く なったけれど未練がある人は、何かに生まれ変わって未練を晴らし、成仏するの だそうだ。例えば、あなたが歩く道の樹の葉になって、あなたが立派になった姿を一目見に来るかもしれない、と。

 私は死後の世界があるかどうかとか、その主張に興味はあれど、その事実自体に興味はない。死後の世界とは無だ、なんて手塚治虫ブッダで読んだことも あるし、漠然と、そんなものか、と思うくらいだ。それでも、私が願うのは、どこかにまだみなちゃんが存在していればいい、ということで、彼女との繋がりをまだ感じていたい、ということだ。

 今も私の後ろでこの記事を書くのを見ているかもしれない。今日、学校 からの帰り道に聞いた虫の音はみなちゃんだったかもしれない。そんなことを 妄想する。そして、それが現実であればいいと思う。