昨日の自主練帰り、20 時頃に講義棟から出た瞬間、驚いた。心拍数がぐんと 上がって、心臓がばくばくと動き出した。夏だ。夏が来た。夏の夜の匂いがした のだ。湿気た樹木の皮の匂い、むしむしとする空気の中、カブトムシになって樹 液をすするような、そんな感覚にトランスした。

 正しくはまだ夏に入ったとは言えないらしい。英語のクラスの友人曰く、今は 梅雨の中の晴れ間なのだそうだ。昨日は朝から目を開けるのが億劫になる程に 空が眩しかったので、私はついに梅雨明けか?と浅ましくも内心期待していた。 だが、例えただの晴れ間に過ぎないとしても、それはとてもいいニュースだ。嬉しい。梅雨の晴れ間バンザイ!

 今日も一日夏の匂いを楽しんだ。湿気の多い空気や汗をかかせるえげつない 気温は好きじゃない。でも、嫌いじゃない。夏の日本、風情だなと、思えるようになった。今日は部屋の窓を開けて、掃除をして、洗濯をして、また自主練に出かけよう。そしてあの夏の夜の匂いを再び、胸いっぱい楽しむのだ。

 ここで私の季節観について話してみたい。「過ちを犯す夏。過ちを雪ぐ冬。」これが私の持論だ。本能的直感、もしくは経験、見聞の蓄積による潜在意識とも言えるかもしれない。なぜか私には、夏に人は間違いを犯し、冬になるとそれを贖う、もしくはそんな醜い夏なんてなかったことにしようとする、そんなイメージがある。つい最近、話題になった映画がある。「Call Me by Your Name」だ。終わりがわかっていた、それでも恋をしよう。ハッ ピーエンドが訪れないとわかっていた、それでも共に今を過ごそう。そんな過ちを犯す二人に私は魅せられた。

 では、夏は偽りだろうか?いや、冬こそ偽りなのではないだろうか?夏は過ちかもしれない。だが、過ちこそ私たちの本当の姿なのではないだろうか。ごわごわとした厚い被り物を着込んで、私たちはいつも何かを隠している。自身の根源に関わるそれを、醜く美しいそれを、誰かに間違って晒すことのないように。

 でも、だって夏なんだもの、ちょっとくらいこぼしてしまっても、しょうがないではないか。だって暑いし、むしむしするし。太陽はギラギラとコートを脱がせようとするんだもの。高い体温が服の中にこもって、日差しの温度が髪の毛の中にこもって、くらくらして。頭がいつもより回らないんだもの。

 私は夏が好きだ。過ちを犯す人は美しい。本当の顔で笑おう。本当の心で泣こう。本当の汗を流そう。

 夏が来る。