私はソロがある曲を聴くのが好きだ。コンチェルトを聴くのも好きだ。高校二年生の春、 ジョイントコンサートという高校の女子部の弦楽部と男子部のブラスバンド部が合同で開催するオーケストラのコンサートが終わり、コーチと女子部のトップで反省会をしていた 時、コーチがこう言った。「みんな、そろそろドミナントじゃなくてもっといい弦に変えてみたら」私はその瞬間まで弦のグレードというものをそこまで真剣に意識したことがなか った。そもそもメーカーもよくわからない。そこでインターネットで弦のメーカー、あるい は種類毎の特徴をまとめた記事を探した。そして自分にあった弦を見つけようとしたのだ。 ある日、私はあるサイトを見つけた。そのページではバイオリニストの巨匠たちと、彼らが使用していた弦がまとめられていた。それが、私とバイオリニストの世界、そしてバイオリニストの王ヤッシャ・ハイフェッツとの出会いだった。

そのサイトにはそれぞれのバイオリニストの演奏の動画のリンクが貼られており、ハイフェッツパガニーニカプリース 24 番を演奏していた。(ただし、ハイフェッツは生涯を通してあまりパガニーニの曲を好んで演奏しなかったらしい、パガニーニに嫉妬していたのではないか、という記事を読んだことがある)それは突然で、非日常で、圧倒的だった。あのスタッカート、あのピチカート。全てが理解の範疇を超えていた。人間の右手は、左手は、こんなに繊細に大胆に動かせるものだったのだろうか?ああ、この人はこの楽器のために生まれてきた人なんだと、 頭のどこかで、当たり前のようにそう納得した。ニコニコ動画の「神演奏 ヴァイオリン」 というハイフェッツの動画で「嫉妬すら追いつかない。憧れすら届かない。」というフレーズを目にした。元々この言葉はメジロラモーヌという伝説の競走馬を形容するために生まれたそうだが、ハイフェッツの演奏を耳にしたあらゆるバイオリン演奏者の感情を形容するのに、こんなにぴったりの言葉はないと思う。

以来私はハイフェッツの演奏に夢中になった。実は親に無理を言って全集を買ってもら った。(100 枚入りで、オークションで 30,000 円で購入した。実質 CD1枚 300 円だと考えると、なんてお得なのだ!これが全集を買う人間の心理である)リマスター版のコン プリートエディションも持っている。こちらは録音が新しいので音質がいい。

それではここで、おそらくこの話をした誰もに聞かれた質問の回答をしよう。「どの曲が 一番おすすめ?」これは大変難しい。ハイフェッツはコンチェルトだけでなく小曲もよく弾く人だった上に、ルービンシュテインとフォイアマンと組んだ、俗に百万ドルトリオなどと 呼ばれる3人の室内楽曲もあり、ソナタも弾き、そのどれもが凄く魅力的だ。だがあえていうなら、ライトな気持ちでこの質問をしているのなら、まずオラ・スタッカートの動画でそ の技術に圧倒されてみてはいかがだろうか。「オーケーこいつは俺の手に負えない代物だ」 と思ったらそこで引き返してもよし。ハイフェッツの世界にどっぷり浸るつもりでこの質問をしているのなら、シベリウスのヴァイオリンコンチェルトが私のお気に入りだ、という旨を伝えよう。

本音を言うなら、出会いは様々なのだからなんでもいい、興味が湧いた曲をとにかく聴いてみて、それをハイフェッツとのエンカウンターを記念する特別な曲として 大切に胸の奥にしまっておいてほしい。だが、私はハイフェッツのシベコンだけは、いつ、 何度聴いてもあの「わきたつなにか」を感じてしまうのだ。

ハイフェッツは生涯を通して、「冷淡で、感情のない演奏」という心無い批評に苛まれた。 批評家たちはどれだけ目の前の演奏に圧倒されても、その重く冷たい高級なペンで、何か、批評ら しいことを書かなければいけない。それがお仕事なのだから。そこで見たままのことを書 く。「技術ばかりの冷酷な演奏だ、情熱的でない」と。ハイフェッツは、現代でいうヴェンガロフのような、顔や所動が激しいタイプの演奏家ではなかった。棒立ちで、常に無表情。それがハイフェッツの“パフォーマンス”の特徴だった。だが、そんなのは視覚が支配する、人間の拙い知覚がもたらす錯覚にすぎない。耳を閉じて、その音だけに耳をすませてほしい。それが音楽だ。そうすればハイフェッツの情動を必ずと言って良いほど目の当たりにできるはずである。

これはあくまでハイフェッツの音楽観である。私は彼の伝記を読んだので、そこに書かれていたことなんだろう。私自身の意見はまた少し異なる。まず、コンサートをライ ブパフォーマンスと捉えるかどうかという前提がある。視覚を含めたパフォーマンスだとするならば、大きな、時には大げさな動作は効果的だ。また、少なくともヴァイオリンにお いてのびのびとした動きとは、弓の元から先まで意のままに自由に操れることを意味する。 これは音色や音量の変化をつけるにあたって必然とも言える。よって大きな動作を伴う演奏は一定のアドバンテージがある。

ただし、これには反論ができる。簡単に言ってしまうならば「上手けりゃ関係ない」である。五嶋みどりラヴェルのツィガーヌの演奏を見た時、私はこれを見た人みんな共感作用 によって首と腕がガチガチに凝ってしまわないだろうかとさえ思った。腕に力が入りまくってるように見える。関節が固まって見える。それでも上手い。ならいいか。それが結論である。 中学高校の部活で、椅子に深く腰掛けすぎないようにと注意された。自由に体が動かせなく なってしまうかららしい。でもウィーンフィルニューイヤーコンサートを見ると皆ドカーンと金色の椅子に深く腰掛けている。すなわち、うまけりゃ何をしても許される。だっていい演奏をするんだもん。

そして、それはつまりアマチュアのペーペーの自分にはこの反論は適応されない、ということだ。改善の見込みあり。邁進しよう。

話がかなり逸れてしまったが、私が言いたかったのはソロがある曲ってすごくいいぜ、そ してハイフェッツの演奏をもっと深く知りたい、音源が欲しいという人は私に言って欲しいという話だった。オイストラフもある。いつでもどうぞ。