映画館でポップコーンを食べなくなって、もう2年が経った。

 2年前、私は映画ひいてはミニシアターにどハマりした。高校二年生の春、とある映画をみた。誰が知るあの「レ・ミゼラブル」のトムフーパー監督の最新作、「リリーのすべて」だ。ワンカット、ワンシーン、全てが未知の魅力に溢れていた。印象に残っているのは、初めてアイナーがストッキングを履くシーン。滑らかで柔らかなあの白いストッキングの感触が、スクリーンと視覚を通して、私の手のひらに伝わった。美しいミザンセーヌ、音楽、そしてストーリー。それらの全てが当時の無知な私には衝撃的で、理性の光で蒙を啓く、とはこんな感覚かもしれないな、とさえ思えた。

 その年、実に私は80本近い映画を見た。年の前半はまだ部活動があったので、放課後があまり自由に使えず、もどがしい思いもしたものだが(ただし、一週間毎日家で一本見るなどした)、放課後映画館の味を占めた私は、年を越えるころには平日の学校帰りに二本立て続けに映画を見たりしたものだった。今思うと、これが若さか。

 名古屋は実はミニシアターの街だ。昔はゴールデン劇場(一度だけ行った。「いけちゃんとぼく」を見て、ストラップをもらった記憶がある)、シルバー劇場という2つのミニシアターも存在したのだが、もう私が中学に上がる頃には閉館してしまっていた。現在も営業している映画館としては、シネマテーク、シネマスコーレ(唯一行ったことがない)、名演小劇場、伏見ミリオン座、センチュリーシネマくらいのものだろうか。やはり、大都会東京に比べると見劣りしてしまうかもしれないが、全ての映画館がそれぞれ個性的で、非常にミニシアター系映画のバラエティに富んでいた。

 私は特に伏見ミリオン座に傾倒した。名古屋の映画好きからしたら「ミーハーめ」と言われてしまうかもしれないが、伏見ミリオン座に通い詰めたことは事実だからしょうがない。現に第一志望の大学(外大である)の合格発表の日も、呑気なことに私はアイスゆず茶片手に伏見ミリオン座で映画を三本みて1日を潰していた。高校二年生の頃はミリオン座の年会員だった。高校生が一回鑑賞で1,800円、会員は年会費8,000円で一回鑑賞が1,000円と1回ぶんの無料鑑賞券のはずだから(裏は取っていない)、10回鑑賞で元が取れる算段だ。(20回以上は劇場で鑑賞したので余計な心配だったが。)

 伏見ミリオン座の空間は私にとって特別だった。特に学校行事の振替休日、平日の朝一番の回は、時間に追われない極少数の穏やかな人々とともに、ほぼスクリーンを貸し切りだ。こんなに興奮することはない。また受験が終わって暇を持て余している頃に行ったミリオン座は最高だった。夕方遅くになると併設されているカフェですらガラガラで、一人で小川洋子の本を読むには、素晴らしすぎるロケーションだった。

 私は生来人混みが苦手だった。満員電車でもすぐ腹痛を起こして体調を崩してしまう。人混みというのは特殊な性質を持っていると思う。私たちの主観からすると、彼らは個人としてのアイデンティティを持たない、匿名の集合だ。だが、私たちは人混みにおいてその匿名の集合の存在を嫌でも強烈に意識させられる。匿名なのに、影が薄くない、主張の強い匿名だ。電車に乗っていると、服装変じゃないかな、髪型は、などと無駄に自分の見た目を気にして、どっと5歳ほど老けるような心地がする。

 私は人混みと同じくらい、人に見られることが苦手だ。きっと見栄っ張りなんだろう。私は常にできることならば全身にモザイクをかけて生活したいと思っている。声も、万引きGメンに「どうしてこんなことやっちゃったの」、と聞かれて「なんなんすかぁ」とか答える人の声のように、ヘリウムガスのようなエフェクトをかけてほしい。

 なぜなら私は自己肯定感が異常な程にないのである。ふとした瞬間にガラスに映った自分を見ると「うわ」と思うし、なんならそのまま「おかしくないかな…」と10分ほど自分を観察してしまう。ファッションも苦手だ。毎朝の化粧も髪の毛も自信がない。そして、私は自分のする事なす事全てを反省する。反省は私の得意技だ。「今日はあんなことをしてしまった」「あんなこと言うんじゃなかった」と、寝る前に何度も「今日のハイライト」がフラッシュバックする。日々自己嫌悪を募らせて、自己肯定感をすり減らしながら月日を重ねる。それが私という面倒臭い人間の人生なんだと思う。(友達にこの話をしたところ、バイトをしてお金を稼ぐようになれば一定の自己肯定感を得ることができるそうだ。対価に見合う自身の価値を見いだせるらしい)

 だから、私はガラガラの映画館が好きなのだ。映画を見ている間は、暗いシアターの中、誰もが自分の見栄やプライドを忘れてスクリーンに没入する。映画のキャラクターたちの人生を90分だか3時間だかで追体験している彼らにとって、もはや現実世界にいる生身の彼らは彼らではないのだ。

 だから、私は映画館に居場所を求める。大学に進学し、上京し、伏見ミリオン座からの隔絶を強いられた私にとって、映画館における居場所の構築はマストだ。ただし、それは同時に大変な困難でもある。なぜなら、東京は人がいっぱいいて怖いからだ。西武線から出たくないのに。どうか西武線沿いになんだかいい感じのミニシアターができますように。